教会の何でやねん?献金 from Mustard Seed Osaka on Vimeo.

スモールグループのレッスン:

クリスチャンになる以前に、特定の物事や、団体にお金を寄付したことはありますか?なぜそうしようと思いましたか?

ある誰かが、イエスの愛ある犠牲によって心うたれたとき、その人は愛を持って神に、そして他の人に犠牲を捧げます。これが献金を捧げる聖書的な動機です。

第二コリント8章9節
「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」  

質問:献金を捧げる間違った動機には、どのようなものがありますか?

私たちが献金を捧げる3つの理由:

  1. 必要を満たすため
  2. 使命を推し進めるため
  3. 神を礼拝するため

使徒4章32~37
「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。」  

質問:もしバルナバが友達で、彼が、あなたに彼自身が持っている大阪にある土地や車を売って100%教会に捧げると言ったら、あなたは彼にどう助言しますか?彼にその考えが「いいアイデア」と伝えますか?それとも「愚かな決断」だといいますか?どちらですか?

ピリピ人への手紙4章15~18節
ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。」  

私たちが願うことは、心の中での聖霊の働きと、み言葉の中で明らかにされているキリストの愛にあふれた犠牲によって、私たちがますます犠牲的に捧げることが出来るように動機づけられていくことです。残りのスモールグループの時間は、犠牲的に献金を捧げたいと思っている方に実践的な助けを提供していきたいと思います。

質問:捧げる献金の予算の目標はありますか?
もしあるのであれば、その金額は捧げるのが簡単なものですか?それとも犠牲的なものですか?
もしなければ、個人的に毎月捧げる平均金額を見積もって見ましょう。あなたが思っていたより少ないですか?それとも多いですか?その金額は犠牲的な金額ですか?

質問:過去12ヶ月の間に捧げた献金金額を考慮すると、あなた自身のために何か買ったり、貯金したものはなんですか?あなたは、神様を礼拝したり、神様の国を推し進めたり、他の人の必要に貢献することよりも、自分自身のためにお金をつかうことのほうが大きな喜びを得ますか?

質問:いつも必要以上に買ってしまうものが何かありますか?それは何ですか?